Jフード・ダイアリーズ

疲れたらカレーを飲め、と或る人が云った

便所コオロギの精

ずいぶん前、一人暮らしをしていたころ

見ず知らずの人がやってきた。



ベッドで寝ていたら、ピンポンが鳴って

友達でもきたかと思って、頭をかきながらドアを開けたら…


「ば!」


高校生くらいのメガネ男子が

居酒屋の便所にありそうな

空色のサンダルを脱いで


「おかし~な~」


とか言って。




ぼくはおそらく、きょとんとしていた。予想を遥かに超えた出来事が起きたら、即座に対処することはできない。異世界の出来事を、ぼーっと見ることしかできない。ぼくの異世界には美女が訪れることはないのかと悔しがる余裕さえない。



メガネくんは狭い部屋を見回すと、隅に移動して携帯電話(ガラケー)をいじり始めた。

目はうつろ。

ディスプレイの光がメガネくんの横顔を青白く照らしている。ホラーだ。

寝起きのせいか、アホーなせいか、何の策も浮かばないので、とりあえず身構えていると


「やっぱか~」


おじゃましましたの挨拶もしないで、メガネくんは出ていった。


急いで鍵をかけた。



部屋の中はシーンとしている。


“シーン”という文字が見えそうだ。


ぼくは思った。



あいつ、何者なんだ?


知り合いではない


知り合いの弟でもない


もしかして


昔、学校のトイレで見逃してやった便所コオロギの精かも…



そんなことも考えてみたが、もちろん笑えない。


すぐさま友達を呼んで話した。友達は一応聞いてくれたが、熱心ではなかった。ケータイをいじっていて、食いつきは悪かった。

ぼくにとっては大事件でも、友達にとっては、どうでもいい話でしかなかった。

先日、幽霊目撃談を興味あるふりして聞いてやったのに、なんたる仕打ち。まぁ、いい。お前はお前の道を行け。おれはおれの道を行く。


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しばらくして、メガネくんのことは忘れた。怖かったのに、けっこう簡単に忘れた。



その後、彼を見かけることはなかった。




最近、ある被告の顔をニュースで見たとき


「あ、あいつ」


一瞬、思ったが、よく見たら、別人だった。






便所コオロギの精よ


お前は一体、何者なんだ?