ロスの女
01/04/2021
失われたものは美化され、心の支えになるのかもしれない。
事あるごとに
「あたし、ロス生まれだから」
と言う知り合いがいる。
ロサンゼルスで生まれ、育ったらしい。
認知症のおばあさんなので、今やロス訛りの英語を話すことはできないし、当時の体験の細部を思い出すこともできない。だが、ロスで生まれ、育ったことは覚えているし、それが誇りでもあり、自慢でもあった。
ある日、おばあさんがぼくを呼んで隣に座らせた。認知症は軽度であり、日常生活が送れるか送れないかの、ギリギリのライン上にいる感じである。おばあさんは新聞を持っていた。アメリカ大統領選の記事を読んでいたようだ。アメリカは大混乱ですね、とぼくは言った。当時は大変だったわよ、とおばあさんが言った。
「ロスで学生してたのに父親が失敗して日本に帰ってきて。そしたら戦争でしょ。戦後、アメリカに行こうと思ったら、戦争に協力したとかわけのわかんないこと言われて、行かれないし、散々だったわよ」
おばあさんはその後、いい人と出会い、結婚。会計事務所で働きながら、何人かのお子さんを育てた。生活に追われ、アメリカどころの話ではなくなった。
「あたし、ロス生まれだから」
若干、鼻につく自慢だと思っていたが、よくよく考えると、おばあさんにとってロスは、戻りたいと願っても戻れない生まれ故郷だった。
「あたし、ロス生まれだから」